平成20年第1回定例会にあたり公明党議員団を代表して質問を行います。
区は、今年度(平成19年度)より教育委員会事務局と保健福祉部の次世代育成部門を組織統合し、「子ども・教育部」を創設し、来年度(平成20年度)には「共育マスタープラン」を策定することとしています。その組織統合の趣旨は、共に育つ、共に育む「共育」を教育委員会と子育て部門が一体的に推進するためとされています。
そこで、このような機に「分権後の自治体教育行政はいかにあるべきか」という大きなテーマではありますが、あえて基本的な質問を行わさせていただきます。区として「子どものための教育」を実現すべく道筋を明らかにできれば思うからであります。
さて、今日の大人社会ですが、負の部分いわゆる排除する社会、選別される社会のしわ寄せはすべて子どもたちへ及び、「僕が僕であるために」、「もっと自分らしく生きたい」と、子どもたちは心から叫び、悲鳴をあげています。今、私たち大人はその子どもたちの叫びに真摯に応えていかねばなりません。この点、市川市の平成13年に策定された教育計画は他の自治体のそれとは違いその思いが特に伝わってまいります。一部紹介させていただきます。
「若い世代がモラルをなくしたのは彼らのせいではない。むしろ若者は破壊されているのだ。若者が崩壊しているのは、大人が背負いきれなくなった重荷を彼らに負わせた結果なのだ」との言葉から入ります。これはフランスの思想家ピエール・ルジャンドルの言葉です。そして「本市にあっても子どもたちの現状は非常に厳しいと考えています。今の子どもたちに『がまん』が足りないといいます。しかし子どもたちははっきりとこう言うでしょう。『これ以上、まだわたしたちに『がまん』しろというのか』と。大人たちへの信頼がゆらぎはじめ、子どもたちの反乱が始まっています。(中略)若者に重荷を背負わせているという大人たちはどうでしょうか。きっとまだ自分たち大人が子どもたちを追い詰めていることに、はっきりと気付いてはいないし、振り返ろうともしない人も見受けられます。」と。計画としては大変印象的な出だしで何がこの後書かれるのかと興味をそそり一気に読んでしまう、メッセージ性の強いものになっています。
痛ましい悲惨な家庭内事件が毎日のように報道される今日、7年が経過した今も子どもと大人のこのような関係はいっこうに変わっていない、いやむしろもっと悪くなっているとも言えます。
大人の都合ということでは、「教育を手段としてきた社会」は結果として最も重いそのつけを子どもに負わせていることになっています。「子どもの幸せのための教育」、「子どもを優先とする社会」への転換を今こそ成し遂げねばなりません。私たち公明党は21世紀を「教育の世紀」と位置づけ今後の教育改革の基本的な視点として「子どもための教育」と「現場からの改革」の2点を掲げています。「子どものための教育」とは、戦前の富国強兵策や戦後の国家・経済至上主義のように教育を手段と捉えるのではなく、子ども一人ひとりの本来持っている能力と可能性を引き出し育てることにより、「子どもの幸せ」それ自体を目標とする教育であります。また「現場からの改革」とは、上からの改革ではなく、子ども、保護者、教員などが抱える悩みを直視し、その意見が生かされる教育改革であります。つまり現場である自治体レベルで家庭、学校、地域の連携による「子どもための教育」を実現していくことを党として大きな政策の一つとして掲げているのであります。
現在の子どもたちの置かれている状況を考えると一刻も早く自治体としてそのための具体的な道筋を示す必要があります。あくまで「子どものための教育」を目指し、自治体教育行政をいかに行っていくのかということを子どもたちにまた広く区民に示すことであります。この点については区長、教育長に基本的な考え方を問うものでありますが、その中で是非とも触れていただきたい項目があります。それは「子どもを主体とする新たな子ども観」、また「教育委員会と区長部局との連携・協力の方法について」、そして「教育の機会の平等」の3点であります。
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最初に、子どもを主体とする新たな子ども観についてであります。
今日まで、子どもはあくまで大人の庇護・保護の対象であり客体として捉えられひとりの人間として認められ尊重されることはなかったかもしれません。「一人で行動してはダメ」「〜したら怖い目にあうよ」「〜してはいけません」式の行動範囲を制限したり、規制しようとするものであります。よって子どもたちは何事にも受身になりがちとなり、いじめや虐待に遭っても親にも話せず、誰にも相談もできず自分が悪いと、辛い状況をがまんしてしまっている、なかには自ら死を選んでしまうという深刻な現実があります。今必要なことは、自分らしくありのままで居られる環境を子どもたちに整えてあげること、つまり一橋大学教授の福田雅章氏のいう「居場所」(そのままで良いという人間関係)をつくることだと思います。そのためには、私たち大人が子どもを一人の人間としてその人格を認め尊重していく子どもを主体とする新たな子ども観を基本にもつことが必要と考えます。
そこで、区としてまた教育委員会としてどのような子ども観を持って教育行政にあたるのかお伺いいたします。
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2点目に、教育に関して区長部局と教育委員会との連携・協力のあり方についてであります。
行政委員会としての教育委員会には、@)政治的中立を保つこと、A)合議制による意思決定、B)住民自治の仕組みとしての教育委員会という重要な役割と機能が地方教育行政法に明確に謳われています。しかし、子どもの教育に関して、とかくその権限と責任が曖昧であると言われてきたことも事実です。それは縦系列の国の文部省(今の文部科学省)、都道府県教育委員会、区市町村教育委員会という関係が長く続き、委員会としてその本来の役割と機能が十分果たせてこなかったことからきているともいえます。そこでこの権限と責任についてですが、改めて、地方分権時代の首長部局と重要な役割と機能を持つ教育委員会が連携して担うということを明確にしてはどうかということであります。このことについて、東京大学大学院教授の小川正人氏は以下のように述べられています。「首長の指導力と教育委員会の合意形成システムがかみ合う仕組みを作り、両者が連携して権限と責任を持つようにしてはどうか。またその場合、教育委員会の持っている政治的中立性や継続性の確保は今まで以上に担保されねばならない」と。きわめて現実的な提案であり私も賛成であります。
区としては最初に述べましたように教育委員会事務局と区長部局の子どもに関係する部門の組織統合が行われました。区長は昨年第1回定例会招集挨拶においてその意義について述べています。「次世代育成支援とは、単に子どもの成長・育ちを支援することのみに止まらず、子育てに関わる親(家庭)も共々に成長していくことを支援するものであり、同時に学校の中でも子どもたちの成長とともに教職員も育っていくものと考えています。世代や立場の垣根を越え、子どもたちと親、学校、地域が共に育ち、育むいわゆる「共育」であると考えます。こうした認識のもと教育と次世代の施策について、一体的に取り組んでいくため教育部門と次世代育成部門を再編・統合し、教育委員会に新たな推進体制を整備します」と。組織としては、共に育ち、共に成長する「共育」を推進するための推進体制が整ったということであります。この際、子どもの教育(共育)に関しての「権限と責任」について、区長部局と教育委員会が連携・協力して担うこと、またその連携・協力の方法についても明確にしてはどうかと考えます。この点についてのご所見をお伺いします。
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3点目に教育の機会の平等についてであります。
「機会」の平等とは、どの地域のどの学校に行っても、また家庭にどのような事由があってもしっかり基礎学力は身につき、また本来持っている能力と可能性を引き出し育むことができる「機会」がすべての子どもに保障されているということであります。今日の日本社会は排除する社会、選別される社会と述べましたがそれは格差の拡大や階層化の進展をまねいております。そのことにより子どもの教育の「機会」が失われるようなことは絶対あってはならないことです。家庭、学校、地域そして行政が連携し断固教育の機会の平等を保ち、図っていかねばなりません。そこで、このような日本の社会状況の中で区長部局と教育委員会の連携・協力を持って、いかにして教育の機会の平等を図っていくのか、お伺いいたします。
次に学校運営連絡会の役割と今後の方向性についてであります。
学校運営連絡会は平成13年度より、全学校、園に立ち上げられておりメンバーは学校により若干異なりますが、概ね校長、PTA、民生委員、青少年委員、地元町会、保護司らの方々で構成されています。まさに家庭、学校、地域を代表する方々が一同に会しての会議体であります。現在、年2回定期的(2月と5月)に開催されていると聞いています。その役割としては
@ 保護者や地域住民等から様々な意見や要望を学校運営に反映させること
A 学校と家庭と地域とのコミュニケーションを通して家庭や地域からの強いサポートを得ることにより学校教育をより良いものに改善していくこと
と、されています。
私は、教育委員会の重要な役割の一つでもある住民自治の仕組みを学校運営連絡会の役割として明確に位置づけること、そして教育委員会事務局内に連絡会の窓口を作り、関係する所管課が集まって支援する体制を整えることを提案したいと思います。そのことにより現場からの教育課題を教育政策に生かしていくことも可能となると考えるからであります。「住民とともに教育を語りつつ、民意を反映しながら地域の実情に即した教育行政が行うことも可能となります。」(西山邦一氏「教育委員会の組織・権限の現状と課題」より)このことを先駆的に実施している自治体に市川市があります。名称は異なりますがコミュニティサポート委員会として、全ての小学校、中学校合わせて55校全てに設置されています。メンバー構成はほぼ同じですが人数は一校平均22名で、中には生徒も参加してのサポート委員会もあるそうです。年3回から4回開かれています。その特徴としては、@委員会どうし横の推進組織としての「コミュニティ推進委員会」があること。A学校ごと教師の中でサポート委員会担当主任を決めて研修会まで行っていること。Bそして、行政内にプロジェクト会議「コミュニティサポート推進PJ」を設け庁内横断的に関係する所管課が話し合い支援する体制ができていることなどであります。市川市の教育委員会地域教育課長から直接お話をお伺いすることができ大変参考になりました。課長は「地域の教育課題とその改善のための施策を学校と家庭、地域が一丸となって取り組むためにはこのような現場からのボトムアップ型の仕組みが必要です。市川市にそれを可能にしたのはコミュニティスクールの歴史が20年以上あったからだと思います」と話されていた言葉が印象に強く残っています。
さて、あと一点、学校運営連絡会に関連してですが、教育委員会と教育長・事務局の役割分担を明確にしてはどうかということであります。地方教育行政法第23条(第1項〜19項)で謳われている教育に関する日常の様々な職務権限が教育委員会にはあります。しかし、実際には非常勤、兼職の教育委員が月2回の定例会ですべてのその権限と責任を担うには当然無理もあり矛盾もあります。そこで「教育委員の役割を地域の教育政策の課題の設定や大綱的方針の設定、そして教育長・事務局の仕事の監督・評価に限定し、その具体的な政策立案と執行管理という専門的事項は『専門家』である教育長・事務局に任せるという両者の役割分担を明確に区別すること」(小川正人氏「市町村の教育改革が学校を変える」より)が必要と考えます。また教育委員会の議題を事前に学校運営連絡会や広く区民に公開し、また委員会として決定したこと、議論したこと、課題として残った事項なども広報し、議事録も積極的に公開していく必要があります。
学校運営連絡会の役割(位置づけ)と今後の方向性、また教育委員会と教育長・事務局との役割分担について提案も含めて述べさせていただきました。ご所見をお伺いします。
最後に「共育マスタープラン」の策定の趣旨とその視点についてであります。
策定の目的としては、先ほど紹介した区長招集挨拶にありましたように、「世代や立場の垣根を越え、子どもたちと親、学校、地域が共に育ち、育むという『共育』を実現するために、行政だけでなく家庭、地域、学校が連携して取り組むための方針の策定である」とされています。
「子どもにはもともとすごい力がそなわっています。無限の可能性です。それを引き出すのは、暖かな『励ましの対話』です。」その励ましの対話こそは「子育てを通して親も子も共に成長していく、また教育を通して教師も生徒も共に成長していくという『共育』の考え方」(以上2007.8/24聖教新聞より)がベースとして必要であります。また、その出発点は子どもたちを立派な一個の人格として尊敬できるかどうかだと思います。「教育とは(共に育つ)『共育』である」とする考え方には、子どもと大人がある意味対等な立場に立ち、お互いの人格を尊重し合い、認め合うという関係がベースになくてはなりたちません。つまり共生の考え方であり、それは子どもを主体とする新たな子ども観につながっていくと私は確信しております。
大人社会が「教育とは(共に育つ)『共育』である」との考え方に変わったとき、若者の崩壊の解決、また「僕が僕であるために」、「もっと自分らしく生きたい」との子どもの叫びを叶えることも可能になります。まさに「子どもための教育」の実現であります。その理念、方針を広く区民と共有するために今回共育マスタープラン策定の目的があると思います。
またプラン策定の視点ですが
@ 家庭・地域・学校が連携する千代田区の教育や幼稚園、保育園のあり方の検討、調査
A 現状・課題等を踏まえた独自性や斬新性のある事業プランの提案
B 0歳から18歳までの子どもに関わる施策の体系化
C 家庭の教育力向上に向けた事業プランの提案
の4点が示されています。いずれも大事な視点でありますが、一つ加えさせていただければ、それは平成15年に国が次世代育成法に基づく子ども行動計画策定のために示された「子どもの視点」であります。その箇所を引用しますと「次世代育成支援対策の推進においては、子どもの幸せを第一に考え、子どもの利益が最大限に尊重されるよう配慮することが必要である」と。つまり、子どもを主体とする視点であります。千代田区次世代育成計画にはすでにその「子どもの視点」が入っております。この度の共育マスタープランは子育ても教育も含むものですからその上位計画にあたります。当然この子どもを主体とする「子どもの視点」をベースに置きながら先の4つの視点が構成されていくべきと考えます。
「共育マスタープラン」策定に際し関係する私の考え意見を述べさせていただきました。
そこで、改めて「教育は『共育』である」とする考え方とマスタープラン策定の趣旨、そしてその視点についてお伺いいたします。
以上、分権後の自治体教育行政について質問させていただきました。
最後に、文豪島崎藤村が実は今回の「共育」の考え方に通ずる言葉を多く残していますので一つだけご紹介させていただき質問を終わります。それは藤村全集弟9巻からになります。
「『現代の急務は、子どもをして逆にその父母を教育せしめることである』と言った人もあったとやら(ようだ)」。子どもに注意を向けることは、やがて私たち自身を育てることになる。全く、子どもの世界は一つの大きな秘密だ。子どもは既に一切を具備するもののように見える。唯、子ども自身にはそれを引き出すことを知らずに居るという迄だ。」以上です。
どうもありがとうございました。 |